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FEATURE

02

困難を乗り越えて

POINT.01

数々の困難

冷害、台風などの気象災害、病害虫の発生、市場相場の変動ーー今も昔も、これらはりんご生産者にとって大きな脅威です。中でも、1969年(昭和44年)の「山川市場」は県内りんご生産の転換点のひとつと言えます。当時、青森県では主力品種の「国光」と「紅玉」の増産が進んでいました。しかし、貯蔵技術の発達や晩生系の新品種「ふじ」の登場により、在庫のだぶつきが起こり、生産者は泣く泣くりんごを山や川に投棄したのです。これを機に、相馬村では園地の54%を新品種に切り替えるとともに、さらに品質に磨きをかけていきました。

POINT.02

寒さに強い青森のりんご

JA相馬村の人気商品のひとつ、フレッシュなりんごのストレートジュースは、飛馬の里の女性たちが作り始めたものです。手作業で搾汁されたジュースは、自家用として地域の人びとに愛されていました。たびたび起こる相場の暴落から産地を守りたいという婦人部の想いを受け、1984年(昭和59年)にJA相馬村はジュース加工場を新設。手作りに近い味をと、当時としては珍しい2度の殺菌が可能なラインを導入し、消費期限の長い無添加のストレートジュースを完成させました。

一般的には、りんごジュースの原料は多収・省力化の加工用として栽培されたりんごです。機械で収穫されたものや、一度地面に落ちたものが使われることもあります。JA相馬村では、生食用りんごのうち、傷や形の関係でB品となったものを加工しています。選果場に隣接する工場で搾汁するため、フレッシュさと風味が生きたジュースに仕上がります。また、ISO22000:2005とFSSC22000も取得し、衛生・品質管理を徹底しています。

1991年(平成3年)、JA相馬村で全国最大規模の選果ラインが完成したこの年、のちに「りんご台風」と呼ばれる台風19号が猛威をふるいます。最大瞬間風速53.9mの暴風により、収穫直前だったりんごは軒並み地面に落ちてしまいました。青森県内で、実に38万トンのりんごが被害に遭い、被害額は741億円にのぼりました。県下のJAや流通業者は収穫を控える「つがる」の集出荷を優先したため、二の次とされた落果りんごの多くが投棄されました。

POINT.03

生き続ける相馬村のりんご

一方でJA相馬村は、台風が去るやいなや、落ちたりんごを品種と傷み具合で仕分け、JAへ出荷するよう呼びかけました。完成したばかりの大規模選果ラインがあったからこそ、「つがる」と落果りんごの荷造りを並行できたのです。また、取材に訪れたメディアには、JA相馬村で落果りんごとジュースを販売している旨を掲載するよう働きかけました。その結果、全国の消費者からの購入申し込みがJA相馬村に集まり、生産者の復興の力となりました。

このできごとは地域共助や飛馬ブランドを見直すきっかけとなり、JAのもと村の人びとが再集結します。台風前には50%台だったJAへの出荷率は、98%まで上昇しました。現在でも飛馬の里の結束はゆるがず、JA出荷率は90%を超えており、全国的に見ても極めて高い割合となってます。